人気ブログランキング | 話題のタグを見る
0.2㎏のおもひで
連日放送されているトリノオリンピック。

日本選手の苦戦が続く中、ノルディックスキー・ジャンプの
原田雅彦選手が個人ノーマルヒル予選で
用具違反で失格となったニュースが先日報じられた。

原田選手が使用していた253㎝の板を使うには
体重が61㎏以上必要なんだとか。
結局0.2㎏足りなかった為に戦わずして失格。

僅か0.2㎏での事。

今回の事がなければジャンプ競技にそんなルールがある事さえ知らなかった。

日の丸を背負って出場する以上、国民の期待は嫌でも背負うものであり、
種目に選ばれなかった選手も沢山いる事を考えると、
今回のような内容で失格となる事を自己管理不足として
選手自身が非難されるのも致し方ない部分はあるのかもしれないが、
個人的には原田選手を攻めたくはない。

それは自分にも0.2㎏で明暗を分けた忘れられない思い出があるから。



高校時代、僕はボクシングをやっていた。
通っていた高校にボクシング部がなかった為、
三好兄も所属していた市内にある一般のボクシングジムに入った。

ボクシングを始めた当初、僕はバンタム級で試合に出場していた。
バンタム級は体重51㎏以上~54㎏以下の選手が位置するクラス。
3㎏の幅があるとはいえ、当然規定内で少しでも体重が重い方が有利な訳で、
試合前になると皆54㎏に限りなく近い体重になるように調整する。

しかし僕は元々太りにくい体質なので体重が大きく前後する事もない為、
周りと比べてそれほど激しい減量はした事がなかった。
だからいつも試合前は簡単な食事の調節だけで
54㎏に近い体重にもっていく事が出来ていた。

そしてある公式戦を数日後に控えた時の事。

その時は珍しく減量に手こずり、なかなか思うように体重が落ちなかった。
いくら運動したり走ったりして汗をかいても、
食事を抜いても一定のレベル以上が落ちない。
しかしもう試合は数日後に迫っている。

仕方なく僕は試合当日まで練習量と走り込みの距離を増やして
なるべく汗をかくようにし、最低限の水分と食事しか取らないという
短期間に一気に落とす荒療法で
なんとか試合2日前に無理やり54㎏を切るまでもっていった。

そして試合当日。
とりあえずバンタム級の体重に間に合ったとはいえやはり心配だった。
会場に入って誰よりも真っ先に体重を計ってみると・・・・・54.2㎏。
いつの間にか0.2㎏以上オーバーしていた。

試合前に行われる公式計量までは後1時間程しかなかった。
僕は慌てて持ってきていた着替などを全部着込み、
最後に上下のスウェットを着て、口の中にはガムを詰め込み
体育館の周りをグルグルと走った。
走りながらガムを噛んでは唾液を分泌させ、
飲み込まずに持っていた袋に唾液だけを吐き出す。

走る、噛む、吐き出す。

その繰り返し。
体中の水分を少しでも出す為に。

今なら1時間もあれば軽い運動で0.2㎏位の体重なら簡単に落ちるだろうが、
なにせ前日まで無茶な減量でカラッカラになった体から
さらに体重を落とすのはかなり至難の事。
その日も起きてから試合会場まで水分を一滴も取っておらず、
そのうちガムを噛んでも口の中の水分さえ出なくなってくる。

計量ギリギリまで走っていたが、結局1時間で54㎏を切る事は出来なかった。

勿論バンタム級で試合に出場する事が出来ない。
54㎏を超えた時点で一つ上のクラスのフェザー級になってしまう。

しかし幸か不幸か、他のジムから来ていたフェザー級選手の中で
出場出来なくなった人が出たとの事で1人分の欠員枠が出た。
そしてコーチが相手側と交渉してくれ
変わりに僕がフェザー級で試合に出場する事になった。

フェザー級の体重規定は54㎏以上~57㎏以下。
当然、選手は57㎏に限りなく近い体重で試合に臨んでくる。

そんな中で54㎏を僅かに超えた体重の僕が
まぬけにも同じ階級で試合をする。
軽量級のクラスでは3㎏の体重差はとても大きい。
なによりパンチ力が違ってくる。

練習の時でもバンタム級が豊富だった我がジムでは、
階級の違う選手とスパーリングする事は殆どなかった。
後に僕はフェザー級に転向するのだが、
この時点ではバンダム級での経験しかなく、
他の階級での試合は未知の世界だった。

接近戦でまともに打ち合っても勝てる見込みが少ないと感じた僕は
コーチと相談してカウンター一発狙いの試合運びにする事にした。

事実、当時の僕は右ストレートのカウンターで
何度か試合に勝っていた事があり 『ひょっとするとひょっとするかも』
という僅かな期待もあった。



そして試合開始















あえなく惨敗・・・。





攻防戦の中でカウンターを狙えるチャンスがくる事はあっても、
あきらかに最初から狙ってヒットするほどカウンターは簡単なものではない。
試合終了後にリング中央で対戦相手と握手をした時に、
向こうもこちらの事情を知っていたのか
「階級違ったんでしょ?」と言ってきたが悔しさのあまり返事も返せなかった。


公式戦だった為にその日の試合結果は翌朝の地元新聞に掲載された。


学校に行くと既に新聞を見ていた担任教師が不満そうな顔をして
「なんだよ、負けたのかよ」と言ってきた。


前記した通り僕が通っていたのは学校の部活動としてではなく
一般のボクシングジムのなので、
試合に勝っても負けても学校側には何の関係もないのだが、
良くも悪くも学校の名前が付いて回る公式戦ともなると
担任教師がいつも過敏に反応してきた。

それがなにより煩わしかった。


後日、この担任教師に娘が生まれた。
今思えば非常識な事だが、当時彼と敵対していた僕は
娘の名前を知っていながらわざと間違えて
動物の名前と文字って教室で大声で叫んだ所、
彼の逆鱗に触れたらしく、皆の前で本気の力でビンタをくらった。
そのビンタはそれまで戦ったどんなボクサーのパンチよりも効いた。


それ以降も何度も試合に出場したが、今となってはその全ては覚えていない。
勝ったか負けたか、それくらい。

しかし皮肉な事に僅か0.2㎏で悔し涙を飲んだ
その試合の事だけは今でも鮮明に覚えている。



ジャンプの原田選手も今回の事は一生忘れないはず。
だから次の個人ラージヒルに期待したい。

そして記事長すぎ。
by cultstar | 2006-02-15 19:30 | 日々笑進
<< この声が届きますように 自分に出来る事を考える >>